トゥイウチ 2017年

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"人食いトロピカリア風カーニバル的万華鏡"

“ポルトガル人がたどり着いたときは
酷い雨の中で
インディオに服を着せてやった
ああ残念っ!
かんかん照りの朝だったら
インディオのほうが
ポルトガル人の服を脱がせてやるところだったのに”
(『ポルトガル人の誤り』 オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂ)

 詩人は旗を広げ、そして熱帯の朝は始まった、、、
  ブラジルの大地の肥沃で緑に溢れているのを発見したペロ・ヴァス・デ・カミーニャは、ポルトガル王にあてた書簡をしたためた:「なんでも植えさえすれば、 伸び、花開きます。」ポルトガル人がブラジルを発見する前に、ブラジルは幸せを発見していた。ここ、第三世界は、神の恩寵を頼みに、滝、ヤシ、アラサ、バ ナナの間で眠る。陽気と怠惰。ピンドラーマ、未来の国。
 しかし、我々は自らの内に論理性が生じるのを認めてこなかった。
 カラべラ船によってもたらされた逆方向の理想化に反して、全ての教理教授、文明人、キリスト教化された人々に反して:
「私、ブラジル人は、私の過ち、私の罪を告白する。私の飢餓」
 フランス革命よりも大きなカライーバ革命、ポルトガル風の優れた感覚に溢れたアレンカールのオペラの良き野性。「人食い性」のみが我々をひとつにする。社会的に。経済的に。哲学的に。
 自分のものではないものばかり気になる。人の法則。人食いの法則。世界にひとつだけの法則。私は腹をすかせたアバポル。トゥピたるかトゥピたらざるか、それが問題だ。我々はみなマクナイーマだ。
 異文化受容に反し、善良な振る舞いに反し、文明に反し、秩序にこだわり、無秩序にこだわり。
 平和の歌など歌わない。花飾りなどに興味はない。「ロウソクの王」が支配するトランスの地の熱帯風憂鬱。ブルジョアは定義を求める。
 オー!グッド・ビジネス!
 心の中で、タンボリンのサンバがゆれる。マンゲイラは、サンバが最も純粋で、戯言が決起集会の様相を呈するところ。私は、いい色に染まった気分になる。踊らぬ者は話してはダメ。丘はトロピカリアの最前線となる。
 万歳、ムラータ、タッタッタッタ。
 アマラリーナの青い水面、ココヤシの木、そよ風、東北方言を集めた運動を、私は立ち上げる。空にそびえるマストの上に、帆を投げ上げる。宇宙の音を探す冒険。目に映るたくさんの色。ジェット機に乗り、旅をして、ゾワゾワする。第六感を指針として。
 万歳、バイーア、ヤッヤッヤッヤ。
 全地球的な実験によって。ロックンロール、電子音楽、宇宙開発、ポップカルチャーのサイケデリックな消費形態によって。両極端の出会いによって。不確実性と現代性の、民俗風習と科学の、伝統墨守と前衛主義の、大衆性と学術性の連合によって。
 ああ愛しのサンパウロ。キミと出会って、全てが混乱状態になった。慎みを攻撃するユーモアに勢いを与え。温かな友情。残虐な庭園。感傷的な放蕩に対する批判的な皮肉。それでも、全ての欠点も合わせて、キミを私の胸に抱えていく。産業の発展が、我々への慰めとなるだろう。
 私は歌わなければならない。テレビで歌うかたちで。私は、悪趣味な王というカバーをかけて、超イケイケになるように生まれついた。ラクダの優雅さ。
 キミには私という人間を知ってもらわなければならない。私を食ってくれ!写真と名前、新聞と雑誌、ヒット曲のリストの中で。都市生活の画面で、枠で、画像で。私を食ってくれ!
 私の国にはヤシの木が生えていて、強い風が吹く。我々は、南米最高の街に暮らしている。キミにクルッテルよアメリカ、キミにクルッテルよ、愛ゆえに。イロならば、ワタシは、ラテンアメリカの、シロいアワをモッテイルヨ。皆の衆、私に聞かせて、燃えあがれ!
 庭園では、午後はまるまる、ウルブがヒマワリの間を散歩する。ウルブたちは大きな目を私に向ける。ここが、私のパニックと栄光。ここが、私の縄と牢屋。母さん、母さん、泣かないで。人生なんてこんなもの。太陽に照らされて、私は私の歌を歌いたくなった。
 キミは残り、私は行く。残る者が、見守るのだ。全てのブラジル人民に、あの抱擁を!世界をめぐる私の道を私自身がたどる、その間に、私の目は飛び出して空飛ぶ円盤を探す。
 風に向かって進みつつ、私は夢を見る。色鮮やかに爆発するまで。
 喜びこそが九去法のキモだ。母なる大地ピンドラーマでは。我々はキリスト教化などされなかった。我々がやっていたことがすなわちカーニバルだった。我々は美しくもならず、慎み深くもならず、家庭的にもならない。
 私がカーニバルを指揮する。私が目指すのは混乱させることであって説明することではない。女の子をからかい、大勢を率いて、この聖地に秩序をもたらす。私の素晴らしきトロピカリアが全宇宙にサンバさせる。2月いっぱい、あのステップ・・・
 万歳、バンド、ダッダ
 カルメン・ミランダ、ダッダッダッダ・・・
 私は幾千もの色の世界へと行く。私は行く!なぜダメなの?なぜダメなの?なぜダメなの?

ジャッキ・ヴァスコンセーロス(カルナヴァレスコ)
リオデジャネイロにて、サルヂーニャ主教が捕食されてから460年にあたり


参考文献
オズヴァウヂ・アンドラーヂ 『人食いのユートピア』 São Paulo: Globo, 1990.
アンドレ・ブエノ 『第三世界の火の鳥-詩人トルクワート・ネトとその時代』 Rio de Janeiro: 7Letras, 2005.
ホジェーリオ・ドゥワルチ 『熱帯カオス』 São Paulo: Azougue, 2003.
クリストファー・ダン 『残虐性庭園: トロピカリアとブラジルにおけるカウンターカルチャーの勃興』São Paulo: Editora UNESP, 2009.
セウゾ・F・ファヴァレット 『トロピカリア、装飾と喜び』 São Paulo: Ateliê Editorial, 1996.
パオラ・ベレンステイン・ジャッキス 『ジンガの美-エリオ・オイチシカの作品に見るファヴェーラ建築』 Rio de Janeiro: Casa da Palavra/RIOARTE, 2001.
ジョルジ・カエー・ホドリゲス 『致命的な年: デザイン、音楽、トロピカリズモ』 Rio de Janeiro: 2AB, 2007.
ドゥダ・テイシェイラ、レアンドロ・ナルロッキ 『ポリティカル的にコレクトではないラテンアメリカガイドブック』 São Paulo: LeYa Brasil, 2011.
G.M.テーリス 『ヨーロッパの前衛主義とブラジルの現代主義』 Petrópolis: Vozes, 1982.
I.シェヴィエール 『発展途上国の装飾性: 新映画、トロピカリズモ、周辺的映画』 São Paulo: Editora Brasiliense, 1993.

サンバ・エンヘード
作: カルリーニョス・シヒーニャ、ハファエウ・ベルニーニ、ルイス・カシアス、ヴェリントン・オニーリ、フェルナンダォン

さあトロピアリアだ、見ろよ、、、トゥイウチが
ボクの天国さ、同じものなどありゃしない
だってほら、ほら、、、ボクは現地人トゥピニキン
祖国ピンドラーマでは毎日がカーニバル
ブラジル、母なる自然がもたらす富
わが地には幸せが暮らす
罪だというなら、、、閉じ込めて
ボクは愛する、この自由を
あの法律から生まれた、連帯の繋がりが
マクナイーマは芸術を吸収する
揺れる心、バリバリのサンバ・ノ・ペ
丘で生まれた混乱、パランゴレ
革命が起こり、種もやがて花開いた
着飾った人が色とりどりに、方々に広がった

イェー、バイーア、、、美しいぞ、この音楽潮流
人々は後に続く、ともに生きるために、この冒険を
どんどん混ぜる、、、文化交流
霧雨の地に来た、、、トロピカリスト
陽気にアヤをつける、、、そうだ、アーティスト
賞味と消費、選択肢
花だらけの庭園
立ちはだかる圧力
それでも日がさして
照らし出す歌詞

やあ、ブラジル人民、、、あの抱擁を
道行くボクの、行き先は夢まかせ
視線の先に輝く希望が
人生の秘訣というものだ


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