G.R.E.S. ウニアォン・ダ・イーリャ・ド・ゴベルナドール 2013


PDF 版

"ヴィニシウス、多面の情熱、詩とカーニバル"


その著作、考え、情熱から多面性がう かがえるヴィニシウス・ヂ・モラエスに対して、その生誕100年にあたり、私たちから顕彰を捧げます。彼の、人となり、詩人としての姿について、理解を深 めてもらうべく、今回、彼の詩や小説や既存のインタビュー記録が彼の発言となるような、仮想の対談形式にまとめてみました。

アレックス・ヂ・ソウザ


幼年期

イーリャ:    詩人さん、あなたの幼少期についてお話しください。我らがゴヴェルナドール島の想い出など。

詩 人:        ボクは、勇敢で堂々とした子供だったよ。小さいけど、健康で、やんちゃで。昔のことでいえば、耳に残るのは、名もなき漁師たちの声とか、、、カンタレイラ から来る船、、、島に打ちつける波の音とか。ボクらはみんな、島への郷土愛にあふれていたね。機会があればいつでもコミュニティとしての愛情表現を示して いたと思う。ゴヴェルナドールには、イーリャには、また行きたいね!友人のハシェウ・ヂ・ケイロスが「私の島」とか言ってるみたいだけど、間違ってもらっ ちゃ困る。「我々の」だよ。10歳の頃お気に入りだったココタの海岸を、また裸足で歩いてみたいな。言葉では言えないぐらい、いいんだ。



イーリャ:    作詩を始めたのはいつごろ?

詩 人:        家の古い引出で見つけた詩集に、大きくそして決定的に影響を受けた。ボクもこんな風に詩を、愛の詩を書いてみたいって、心底思ったね。子供時代の早い段階 からずっと、作詩の腕を磨こうと頑張ってきた。ゴヴェルナドール島の家で、兄弟とおもちゃで遊んでいる最中でも、ときどきボクだけ抜け出して部屋にこもっ て、一枚の紙に向かい合うなんてことが時々あった。変わってるよね!まだ何もわかっちゃいなかったけど、まあ、9歳でさ、世界の全てといえばココタだけ。 つまり、泥っぽい海岸とカシューの木とカニってとこさ。それでも、白紙を目の前にすると、さあ、詩を書いてくれってうながされているような気がしてワクワ クしたね。何というか、ペットに、なでてくれって言われてるような気分だった。世界の中の、海の中の、この国の中の、この街の中の、この湾の中の、この島 の中の、部屋の中の子供。時という涙と自分の日々という石灰を材料にして、ボクは自分の詩というセメントを練り上げたんだ。そして1行1行、霊能者の自動 筆記みたいに、ボクの詩が、最初の詩が、湧き出したんだ。愛していたのは愛すること。愛していたのは女のこと。ここからはもうそれもできない。ゆえに詩の 種をつくっていた。そして書かれた言葉を美しいと思った。それゆえに悩んだ。不安の中でいつかなりたいと望む詩人の姿を夢見る憂鬱に。ボクは作ったソネッ ト詩を友達に見せた。そうするとみんな、目を丸くした。こうやってボクの人生の映し絵的なものになるということに気づいて、ボクにとって詩はますます重要 なものになっていった。とすると、ボクの詩を評価することはボクの人生を評価することになる。しかし、ボクは不完全な存在だと自覚しているし、、、そうす ると、詩人にはなれないということになる、とか思ったね。

イーリャ:    好きな詩人は?

詩人:        夢中になったのは、バンデイラ、ドルモン、ペドロ・ナーヴァなどなど、、、


コレジオ・サント・イナッシオ(聖イグナチウス学校)

イーリャ:    宗教的には?

詩人:        一家でカトリック、神父さんがいる学校に通った。日曜には懺悔して、聖体拝領するような流れで。ただ、罪を犯す方が多かったね。

イーリャ:    お祈りはする方?

詩人:        いつも祈ってるよ。ボクみたいな、いつでも情熱にうかれているタイプの人間は、祈りの中で生きているようなもんさ。


書籍

イー リャ:    19歳で最初の本、『カミーニョ・パラ・ア・ヂスタンシア(遠くへと続く道)』を出版しましたね。それから2作目の『フォルマ・イ・エジェジェーゼ(形態 と評釈)』。こちらはジョルジ・アマードとの競り合いに勝って賞もお取りになった。どちらも精神世界を描いたもので、、、

詩人:        オット・ララ・ヘゼンヂが言ったように「崇高なるものに寄生したもの」だったよ、あれは。


ブラジル

イーリャ:    詩人、文筆家、記者、それから外交官として世界を知り、そしてブラジルの実像も知るようになったということと思いますが、外国にいるときは、望郷の心境があったのでは?

詩 人:        そりゃそうさ。愛する祖国のサウダーヂ。特に貧しく変質してしまった祖国に対してはなおさらさ。祖国に帰る旅路は素晴らしいね。緑の荒波から神の懐に抱か れて南十字星の輝きを眺めるとか、そういう「祖国」じゃなくて、もっと親近感があって、穏やかで、日常的な。着るものだってダサダサの黄色と緑のにかえた くなる。ボクの祖国の、、、ボクの祖国、靴もズボンもないボクの祖国。どんだけみじめなんだ!神に愛され、祝福を受けた祖国、栄えあれ、栄えあれ!ボクの 祖国は、装飾もないし、旗を広げさせるものでもない、ただただ荒廃さ。帰るべき祖国は、干からびた大地。そして白い海岸。ボクの祖国は、不品行な大河。雲 を飲み込み、大地を食い散らかして、海に小便を垂れ流す。
お前の胃腸に存する飢餓と、お前の心臓の脈を、ボクは見つめる
名前は言うまい、我が祖国よ
その名は愛された祖国と例えられる、ちっぽけな祖国
優しさにあふれる島、島
ブラジル、かもね
ボクの祖国、お前を愛する人々のサウダーヂ、、、

イーリャ:    あなたは、1942年に、アメリカ人のウォルド・フランクと一緒に、ブラジルの北東部と北部をめぐりましたよね。この旅を通じて、ブラジルを発見、つまり、あなたの政治的視点が変化したのでしょう?

詩 人:        ブラジルを発見ね、まさしくそう。あのアメリカ人のおかげで、、、とにかく、あの旅行はボクにとって、1ヵ月でぐるっと人生が変わった体験だった。右翼と して出発して、左翼として帰ってきたんだから。ブラジルの現実、特に、北東部と北部、あの広範な惨状、ヘシーフェのモカンボ(掘立小屋)、バイーアの共同 住宅、ペルナンブーコのセルタォン(荒野)、マナウスなんかを目の当りにしたわけだからね。あれは本当にずしっときた。ボクも政治の世界に随分関わってき たけど、それを詩に表そうとはしてこなかった。ただ、それに値するものが生じたなら、話は別さ。それで書いたのが、『オペラリオス・エン・コンストゥルソ ンィス(建設作業員)』、『バロンィンス・ダ・テーハ(大地の男爵)』、『メンサージェン・ア・ポエジーア(詩への伝言)』だね。

イーリャ:    あなたにとってブラジルとは?

詩 人:        いつも同じことを言ってるよ。ボクは猛烈なブラジル信者だって。半ば狂信的、半ば本能的、国民を対象とする信仰さ。実際、ボクのブラジル信仰はどの政府機 関に対してでもない。ボクはただ、ブラジル人のみんなを信じてるんだ。どこか外国からブラジルに帰ってくるたびに、ボクのブラジル信仰は激しくなる。わか るかな?しかもこの「信仰」はお金のかからない善行だから、持たないよりは持った方がいいと思うんだ。

オルフェウ

イー リャ:     あなたが一緒に北部と北東部を旅したアメリカ人作家のウォルド・フランクと一緒にレブロンにあったピント海岸のファベーラを訪問されたこと、 この際に、黒人のサンビスタたちのリズムと官能性に魅了されたといったことが言われます。フランクは、ギリシャ文明以前のギリシャ人の姿を見るようだと表 現していました。そうしてあの1942年のカーニバルにおいて、ニテロイのモーホ・ド・カヴァラォンでのバツカーダというアイデアがついに花開いた、、、 ということでよろしいですか?

詩人:        ちょっと興味をもって、ギリシャ神話、中でもトラキアの素晴らしき音楽家で詩人のオルフェウスの伝説についての、フランスの古い解説書を読んでいたんだ。 そうしたら、ちょうどその時、モーホのどこかで、住人の黒人たちが強烈なバツカーダを始めたんだよね。クイーカ、タンボリン、スルドなんかの楽器による、 その雑な感じのリズムが、遠く時空を超えて泣くオルフェウスの嘆き声と混ざり合って、どこか懐かしいように感じられたんだ。詩人であり音楽家であるオル フェウスの神話に丁度興味を持っていたこと、これはもう神の導きかなって。

イーリャ:     結果的には『オルフェウ・ダ・コンセイサォン−あるリオの悲劇』(ジョアォン・カブラウ・ヂ・メロ・ネトに薦められたタイトル)によって、あ なたはトン・ジョビンと出会います。ルシオ・ハンジェウに薦められて、あなたからもパウリーニョ・ソレダーヂに問い合わせたりなさっていますね。

詩人:        「パウリーニョ、ボクがやろうと思っている作曲を手伝ってくれる音楽家を探しているんだ。誰か知ってるかい?」ってね。

イーリャ:     そしてパウリーニョは答えます。「トン・ジョビン。でも一つだけ問題があるかな。今風なんだよね、、、」

イーリャ:     『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』の一節です。

モーホ。それはこの街の馬乗り。そこには遠く光がまたたく。
この人生に余りある危険

恋に燃える心を持つ者にはなおのこと。
音楽はすべからく私のものだ。私はオルフェウ(オルフェウス)!
エウリーヂセ(エウリディケ)、、、
人が全て君と同じだったら、人生はどれだけ素晴らしいことか!
エウリーヂセは死んだ。
カーニバル絶頂の火曜日に、舞踏会「オス・マイオライス・ド・インフェルノ(地獄の市長会)」の中で。
どんちゃん騒ぎバンザイ!バカ騒ぎの王国だ!今日が最終日だ!バンザイ!
明日は灰の水曜日だ!今日が最終日だ!モモ王バンザイ!バカ騒ぎバンザイ!
エ ウリーヂセがいなければ、オルフェウスも音楽も何もありえない。モーホは停止した。全てが忘却の彼方へ飛んだ。ただ一つ残ったのは、エウリーヂセに会いた いというオルフェウの願い、、、せめて一目だけでもエウリーヂセに会いたい!雷鳴が轟き、そしてまた稲妻が輝き、そしてオルフェウはエウリーヂセを探し求 め、罰せられた魂のように空虚なモーホへと登る、、、生れおち、生きた者は全て死に絶える
この世に絶えないのはオルフェウの声。

映画

イー リャ:    子供のころから映画が大好きだったそうですね。サイレント映画の擁護もされていましたし。検閲官、評論家、それに様々な映画の興行主までなさいました。熱 心な映画人のひとりとして、オルフェウの映画化はいかがでしたか。結果に不満があったりするのでしょうか?

詩人:         ボクは本当に映画に夢中さ。いい作品がどんなに好きか、映画を見に行きたくなったり、議論したり、じっくり味わったり、それについて書いたり、頭の中で 作ってみたりしたくなるあの楽しい気分、これは神のみぞ知るってところだね。このオルフェウは、ボクならこうするという路線で作った。ボクの原作ではオル フェウの「地獄訪問」は第2幕の舞踏会にあったけど、映画では、最後のリオのカーニバル。これをエウリーヂセに死が迫るシーンとしたんだ。

イーリャ:    この映画からのヒットのひとつが『ア・フェリシダーヂ』でしたね。

悲しみは果てしなく
幸せははかない
・・・幸せは露のようなもの
・・・恋の涙のように落ちる
貧しい宮廷の幸せ
カーニバルの壮大な幻
・・・水曜日にはすべて消えてなくなる

ボサノバ

イーリャ:    音楽についてお話しください。

詩 人:        自分の事をミュージシャンとは思っていない。ボクは詩人だ。詩集に載っている詩と歌の歌詞とも特に区別していない。詩集として出版される詩を読む人がいか にも少ないって気づくたびにがっかりするよ。家族に言わせると、ボクは話すよりも先に歌っていたらしい。繰り返し同じ歌を歌っていて、簡単な主題(リフレ イン)もあったって。ボクは本当に音楽に囲まれて育った。母も祖母もピアノを弾いていて、古臭いワルツにうんざりさせられたのを覚えてるよ。父もギターを 弾いていた。ボクは音楽を糧にして大きくなったんだ。後で詩も加わってね。音楽関係で動きはじめたのは1950年代。最初に外交官として働いたロサンジェ ルスから帰任してからだね。もともと、いつも曲を自作していた。一人で。発表しようとか人に歌ってもらおうとかは全然考えていなかった。15歳の時にたま たま、ボーカル・デュオのタパジョース兄弟と知り合って、一緒に作曲するようになったんだ。

イーリャ:     アメリカに約4年間いらっしゃったわけですが、その際に、後にボサノバの根幹要素のひとつとなるジャズに魅かれたのですよね。トン・ジョビン も似たような経緯をたどっています。バイーアの内陸部にいたジョアン・ジルベルトもまたジャズに興味をもち、さらに偶然というべきか、リオデジャネイロの ミュージシャンの影響も受けています。そうして生まれた記念碑的な作品がエリゼッチ・カルドーゾ(後にジョアン・ジルベルト)が歌った『シェガ・ヂ・サウ ダーヂ(想いあふれて)』です。ボサノバにとってジャズの影響は良かったと思われますか?

詩人:        とても良い影響を受けたと思うね。ジャズの影響があったればこそ、あの道が開けたんだ。サンバのバンドに色々な楽器を取り入れることができたし、演奏家は 即興を取り入れたし、ハーモニーが大いに改善して豊かになったし、演奏技術が進歩して、みんな、演奏する楽器のことをとことん理解するようになったよね、 バーデンやトンみたいに。ジャズの影響を受けてよかったのは、ブラジル音楽の規定枠が崩れたことだ。それでもサンバはボサノバの中に存在し続けた。そのう えで、寝取られ男の悩みとか、道徳的後悔とか、どちらかというと悲しみ指向だった、あのアントニオ・マリアなんかの時代のブラジル音楽に対して、ボサノバ はより多くの喜びとしゃれっ気をもたらしたんだ。もちろん、サンバ・ヂ・ボアッチと呼ばれた音楽もとてもよかったけど、ボサノバができて、物事がもっと快 活で楽観的になって、音楽から感じられることが伝達機能を越えた、いい感じになったよね。ボサノバを言葉にしてみれば、キスというより視線、情熱というよ り優しさ、メッセージというより伝言という感じかな。

飛んで行け、ボクの悲しみよ
そして彼女に伝えてくれ、君なしではボクはダメだと
彼女に懇願のかたちで言ってくれ
戻ってほしいと
もうこれ以上苦しみたくないから
サウダーヂはもうたくさんだ
実際、彼女なしでは
平静でいられない、美もない
悲しみがあるだけ、そして憂鬱が
ボクから離れない
ボクから離れない
離れない

と いうわけで、ボクはこの変革前後の全期間を経験した数少ないブラジル人作曲家のひとりでもあるわけさ。ピシンギーニャやアリ・バホーゾ、それにアントニ オ・マリア世代のパウリーニョ・ソレダーヂとも共作したし、その後、トン、バーデン、カルロス・リラ、エドゥ、フランシス、それから1969年にはトッ キーニョあたりとつるんだしね。トッキーニョより若い世代、例えばエドゥアルド・ソウト・ネトとかジョアン・ボスコとかとも共作した。

アフロサンバとバイーア流

イーリャ:    1962年の中ごろ、バーデン・パウエルとの共作を始められたころから、大転換がありましたよね、バイーアのリズムを取り入れて、、、

詩人:        バーデンはとても優れた作曲家だ。ボクも彼からアフリカ的要素を教えられたよ。それ以前のボサノバには、そういうのがなくて、実に白人的、アーリア的だったからね。

イーリャ:    人生の後期にあって、信仰の道を変えたということですか?

詩 人:        人生ってことで言えば、それはない。ただ、ボク自身の性向に関して、宗教観的に変化があったんじゃないかな。例えば、カンドンブレとか、ある種の迷信には 興味がある。こういうのは、灰の中にでも火種があるって証拠だよね。

イーリャ:    アフロサンバの時代、あなたは大きく転向しました、、、ブラジルで最も黒人的な白人に。シャンゴー直系という路線で。

詩 人:        ブラジルで最も黒人的な白人っていうのは、自分でもその通りだと思う。黒人との交流は相当のものだしね。黒人にはとても魅かれるものがある。彼らが活力に 満ちていることに、常に気づかされる。ブラジル文化に対する黒人の貢献と言ったら、それはすごいもんだよ。彼らがもたらしたリズム面での貢献、あの黒人世 界の魔術、あれだけでも、ボクは絶対彼らと組むね。

イーリャ:    色々なオリシャに捧げる「奉納歌」が収められたLPの中で、マイサやエリス・ヘジーナが歌った『カント・ヂ・オサーニャ』がヒットしましたね。

詩 人:        我が味方である主よ、栄えあれ、シャンゴーからお前に伝えることがある。それがオサーニャの歌ならば、つられるな!大いに悔やむことになるからだ。自分の 守護神に問うてみよ。愛が本物であるのは、痛みをともなう場合だけだ。

イーリャ:    こうしたアフリカ流は、罵り言葉にまで派生しましたよね、軍隊の圧政に文句をつける新しい形態ということで?

詩人:        まあ、エスコーラ・スーペリオール・ヂ・ゲーハ(士官学校)に、ナゴー語を解するやつなんかいやしないだろうしね。

オレはナゴー語で文句たれて憂さをはらす。ひとつ呪いをかけてやる、お前を送ってやる・・・「カブレテ(ダメ人間)のミロンガ(魔法)のトンガ(大地)」に。

イーリャ:    バイーア流の時期には、最も有名なイアロリシャ(「聖人の母」黒人宗教の女性祭司)との交流もありましたね。

詩人:        オシュンの祝福を受けしガントワの少女である母、タタミロー(讃えよ)!

イー リャ:    それから、オファーを受けるかたちで、テレビドラマの『ベン・アマード(愛されし者)』のサウン ドトラックの作曲をなさいましたね。トッキーニョと共作で。そこからのヒットのひとつに『メウ・パイ・オシャラー(我が父なるオシャラー)』があります。

アトト・アバルアイェー、アトト・ババー
アトト・アバルアイェー、アトト・ババー
我が父なるオシャラ―は王。我を高めたまえ
古きオムルー
アトト・アバルアイェー

イー リャ:      話をエリス・ヘジーナに戻しまして、エリスは、あなたとエドゥ・ロボ共作の歌で1965年の歌謡祭の大賞をとりましたね。しかも次点もあなたの作品を歌っ たエリゼッチ・カルドーゾでした。『アハスタォン(漁網)』の一節を振り返って見ましょうか。

オイ!海に船が出てる、今日はトロール漁があるぞ!みんなで魚をとるぞ。ほら、果てしない海に網が沈んでいく。イエマンジャーを連れてこい。オイ!海の女王。ボンフィンの我らが主よ、我を護りたまえ。こんなにたくさんの魚、いままで見たことない。

イーリャ:      1962年にバーデンと一緒に始められた、このアフリカ流の中では、『ビリンバウ』も有名ですね。

カポエイラがオレを導く。もう時が来たと。戦う時が。ビリンバウがオレに断言する。愛の戦いがあると。悲しみ、友。

イーリャ:      こうしてバイーア時代が10年近く続いた後で、新しいパートナー親しきトッコが現れます。

詩 人:          またしても本物のパートナーに出会えた。サンパウロ出身の24歳の若者だったけど、中世の吟遊詩人みたいな雰囲気を持っていた。通称トッキーニョとして知 られていてね。とにかく、ギターを自在に操るんだよ。

イーリャ:      『タルヂ・エン・イタプアン(イタプアンの午後)』は、当初、作曲をカイーミに任せる話だったところ、あなたからトッキーニョに 信任票が入って、その結果、このコンビでの最高傑作のひとつができたわけですね。

のんびりと過ごす日
大きくもない海
いいもんだ
午後を過ごすのは、イタプアンで
焼けつける太陽の下、イタプアンで
海の音を聞きながら、イタプアンで
愛を語るのは、イタプアンで

カリオカ

イーリャ:     美女というのも、常に作詩のインスピレーションになりますよね?

詩人:         あのね、、、そうでない女性には本当に申し訳ない。でも美人っていうのは超重要。

イー リャ:     通り過ぎた少女が、結果的に世界で最も歌われたブラジルの歌、『ガロータ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)』を生み出したわけですからね。その 少女が通り過ぎる間に、あなたがトンに話したコメントから、歌詞の重要なパートができたそうですが、どういうコメントだったのですか?

詩 人:        「Quando ela passa o ar fica mais volátil (彼女が通ると空気の揮発性が上がる)」とか言ったかな?何でと言われてもなぁ。エジプト人でも、アインシュタインでも、これは説明できやしないよ。

見ろよ、なんて美しい存在だろう
この上ない優雅さにあふれた
ほらあの娘さ
そこをやって来て、そして通り過ぎる
甘美に身体を揺らしながら
海に向かう道すがら
イパネマの太陽で
日焼けした身体の娘
その揺れる様は詩を越えている
ボクの目の前を通り過ぎて行った中で最高に美しい物体さ
、、、ああ、彼女が知ってくれればな
彼女が通り過ぎる時
世界中が優雅さで満たされて
愛の力で
大層美しくなるのだと

イーリャ:    『カルタ・アオ・トン 74 (トンへの手紙1974年)』にはあのころのノスタルジックな感じが表現されています。

詩 人:        ナシメント・イ・シウヴァ通り107番地、君は深すぎた愛の歌をエリゼッチに教えてた、、、ああ、なんて懐かしい、イパネマは幸せ以外の何物でもなかっ た、、、我らが有名な娘には知る由もなかった。なくした愛の「川」をこの街がどこまでダメにしてしまうことになるのかなんて。

子供たちに向けた活動

イー リャ:     ご子息に向けて書かれた詩集を一般向けにも出版されましたね。1970年代以降、これらの詩に曲をつけてアルバムにしようという企画もありま した。これらの詩のいくつかを基にして作られて、MPBの大物たちが歌った曲のアルバムが2つありました。その中から何曲かを挙げましょう。

『ア・カーザ(家)』
とても変わった家があった。オバカさん通りの0番地に、とても丁寧に建てられたものだった。

『Aquarela(水彩画)』
ありあわせの紙に、ボクは黄色の太陽を描く。ゆくゆくはいつか色あせてしまうこの水彩画のきれいな通りに、みんな行こうよ。

『オ・パト(あひる)』
向こうからあひるがやってくる。こっちによちよち、あっちによちよち。向こうからあひるがやってくる。何があるのか確かめに。

『ア・アルカ・ヂ・ノエ(ノアの方舟)』
やがて、ぼろぼろになった方舟の扉が開いた。色とりどりの素晴しい光景が、連帯の方舟を照らす。飛び上がらんばかりの勢いで、みな早く外に出たがっていた。それでもノアに率いられて、つがいを組んで、整然と降り立つ。賢明なる長に率いられ、恵みの地に至った。

情熱(恋愛)

イーリャ:    ドルモンは、あなたを評して情熱の星の下に生まれた男と言っていました。ずばり訊きましょう、愛か情熱かで言えば?

詩人:        情熱的な恋愛こそが永久に向けて築き上げる愛だと、ボクはまだ信じている。最高に儚くて、危険で、痛みをともなうやつね。こういう恋愛こそが、唯一、無限という観点を備えている。

ボクは恋愛の達人
(かつて経験した)恋愛について語ることだってできる
不滅ではない、火に例えられるが
存続する限り無限に思える
大いなる炎
その名は女
ボクの視線と
君の視線とが
やがてぶつかり合う
ああ、神よ、なんと素晴らしい
この視線の出会いは
なんという寒気をボクにもたらすのか
ボクはもう一人では歩かない
常に良き伴侶を伴って出歩く
ボクのギターと
歌と詩を伴って
大恋愛を成就させるべく
ボクの詩はどれも
君に伝えるためだ
ボクは一生
君を愛することになると、そうボクにはわかっていると

イーリャ:    ボヘミア、、、

歌の赴くところ
夜にそこここのバーから
聴こえてくる歌
恋愛について語る
生きる理由と決めて
君がここに現れてくれればな
この同じ場所
同じ夜、同じバーに
君はどこを歩いているのか

イーリャ:     あなたのボヘミアン的な魂はあなたの詩にいつも月を伴って現れます、、、

詩人は祈りの中に言葉を失う
月の美しさの前に
放蕩な、悲しげな、無防備な
ああ、我が愛しき、白くちっぽけな月よ!
美しい月!
飽かぬ欲望!
美しい月!
愛すべき月
熱き月
ありあまる存在感
我が恋人であるかのような!

イーリャ:    あなたをイーリャの詩人たちに紹介したいのですが。

詩人:        神の祝福を、ブラジルの全ての大サンビスタたちに。

イーリャ:    優れたサンバの「レシピ」とは?

詩人:        しかしながら、美しさを備えたサンバを作るには
たくさんの悲しみが必要だ
そうでなくては、サンバなどできやしない
サンバを作ることは小話を披露するのとはわけが違う
そしてこのようにサンバを作るものは、何者でもない
優れたサンバは祈りの一形態である
なぜならばサンバはバイーアに生まれたものだからだ
今日、詩としての成り立ちが白人的だとしても
サンバはその神髄においてあり余るほどに黒人的である
韻律の中に愛を少々注ぎ
見守るがいい、世界中の誰も
サンバが備える美に勝てはしないのを

イーリャ:    それから、あなたがたくさんの人と作った友情も?

詩人:        友達っていうのは作るもんじゃない。認めあうのさ。

イーリャ:    パートナーといえば?

詩人:        ボクの主要パートナーといえば、アントニオ・カルロス・ジョビン、カルロス・リラ、それからバーデン・パウエル。言ってみればボクの「父と子と聖霊」さ。

イーリャ:    それと、トッキーニョ?

詩人:        アーメン。それに、ピシンギーニャ。ピシンギーニャは、ボクが思うに、神の生まれ変わりそのものだな。アリ・バホーゾのことも忘れちゃいけないし。エドゥ・ロボやフランシス・イーメも。

イーリャ:    あなたはどういうタイプの人なのでしょうか?

詩 人:        残念ながらボクにはこれというスタイルがないんだよね。友達によく言われるんだけど、ボクは色々だって。ひとつに決まってたら名前もこうじゃないんじゃな いかな。ヴィニシウス・ヂ・モラエスって、ほら複数形だろ?

イーリャ:    続きまして、ショーマン、パフォーマーとしてのヴィニシウスについて。あなたの生誕100年、それから、あなたの素晴らしい作品群を称えるうえでも、あな たが行った素晴らしいショーのいくつかを披露する、一大ステージを立ち上げましょう。トンとジョアン・ジルベルトとともに行った、ボワッチ・オー・ボン・ グルメ。同じ場所でカルロス・リラとナラ・レオンを迎えたミュージカル・コメディの『哀れな金持ち少女』もありました。カイーミとクワルテット・エン・ シーを迎えたボワッチ・ズン・ズン。トッキーニョとクララ・ヌネスを迎えたサルバドールのチアトロ・カストロ・アウヴェス。マリア・メダーリャとマリア・ クレウーザと一緒のミラノ。ベターニアとトッキーニョと一緒にマール・デル・プラタのラ・フーサ。ジョイスとともにプンタ・デル・レステ。トッキーニョと ミウーシャと一緒にカネカォン。他にも数えきれないほどたくさん。

イーリャ:    称えるべきは生きる喜び、ということで、あなたにとって人生とは?

詩人:        人生は出会いの仕事
人生を通して多くの別れがあるとしても
生きることなく人生を過ごしてしまった人は
沢山いるかもしれないが、そういう人はボクよりも知らないのだ
悲しむより喜ぶ方がいい
喜びはこの世に存在するものの中で一番
心の中の灯火のようなものだ

イーリャ:    詩人としての人生に、迷いはない?

詩人:        わからないよ、そんなこと。情熱が必要だとはわかってるけどね。

イーリャ:    では、あなたにとって死とは?

詩人:        ボクは昨日死んで
明日生まれる
場所があればそこに現れる
時があればボクの時
もしボクが愛に殉じて死んだら
誰が葬儀代を払ってくれるのだろう?
友人諸君、時が来たようだ。悲しみが入り込んでくる時が。みんないつかはサヨナラしなくてはならない。あの世で続きを生きるためにも。次のショーに向けて準備ができているように。新しい日に。また会えるさ。そして部屋に人がいっぱいになる。偲んでくれる。
その時は歌わなくちゃならない。いつにもまして歌わなければならない。歌って街を明るくしなければならない。できるなら生きてみてやってくれ。そして何度もカーニバルを過ごしてくれ。
祝福を。ボクはもう行くから。
お別れを言わなければならないね。

イーリャ:    ちょ、ちょっと待って、詩人さん。最後にもうひとつだけ。あなたに死の恐怖を感じるかと訊いたレポーターがいましたが、あなたは何とお答えになったのでしたっけ?

詩人:        「いや、若いの、死には恐怖を感じないね。この人生とさよならするサウダーヂは感じるけど。」

イーリャ:    また会いましょう、詩人さん、、、イーリャで。

詩人         サラヴァ!

(サンバ・エンヘード)
作: ヴァウキール、ファビオ・ソウ、エベルチ・ホッシャ、ジェフェルソン・マルチン、マルキーニョ・ド・バンジョ

空に輝いた!
数ある音符の中で最も美しいもの
ボクは歌う、、、このサウダーヂを
ヴィニシウス・ヂ・モラエスのサウダーヂ
イーリャ!ボクはその海の水を浴びに戻ってくる
ボクの子供時代を見つめ直す
それからボクに夢を見させた詩を
ああ!祖国!ボクの心から離れたことはない
シーンに入ってボクは語る、オルフェウのドラマを
映画のスクリーンで、世界が歌った
それがボサノバ、ボクの愛するもの

ナゴー族の力強い歌
サラヴァ、シャンゴー!今日はボクの日!
けたたましく鳴り響く太鼓の中で、母なる少女が呼びかける
我が父なるオシャラーよ、我らを導きたまえ

海には小舟が浮かぶ
ボンフィンの主に願う
漁師よ、今日は漁がある。イエマンジャーを連れてきてくれ、、、オドヤー
おいで、のんびり過ごしに、詩人ともに、イタプアンで
古い海パン
あんなに大きな太陽で、ボクは日焼けする
ボクは根っからのカリオカ
イパネマについて、それからそこの娘について歌った
ノアの方舟信仰で遊ぶ
詩人よ語れ、あなたが愛するのは?
歌、ボクのギター、そして夜明け

詩人よ、君の星は輝くべく生まれた!
街中が歌う、イーリャは君を忘れない
今日はボクが君のステージ!

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