G.R.E.S. ウニードス・ヂ・ヴィラ・イザベウ
創立: 1946年4月4日
チームカラー: スカイブルー+白
シンボル: 冠
「ヴィラ・イザベウ(地名『イザベウ丘』)の連合」。地名は奴隷解放等の法整備に貢献したブラジル皇室の皇女の名前に因んで新興開発
地に名づけら
れたもの。リオデジャネイロ市内北部の同地区にあったサッカーチーム(ヴェルメーリョ・イ・ブランコ)を出入り禁止となったメンバー
を集める形で、新サッカーチーム(アズウ・イ・ブランコ)が成立。それを母体として、カーニバルに参加するブロッコが出来上がった。当初は設立代表者シナ
の自宅を本部とし、運動グラウンド(カンポ・ド・アンドライー)を練習場所としていた。初参加の1947年は、バテリア27名、バイアーナ13名、その他
パシスタ等が50名程度という規模だった。以後も2部・3部での参加が長かったが、1965年のマルチーニョ・ダ・ヴィラの参入、特に彼が主導した作曲部
の整備テコ入れをきっかけとして、1部に定着するようになった。
1988
年に「キゾンバ、黒人の祭典」で1部初優勝。藁や麻を使った自然な装飾が好感された。一方、基本的に資金と造形ノウハウの不足から、上位争いの常連とはな
れず、2000年には2部に降格、2002年には採点ミスで昇格を逃した。以後は、スポンサーを順調に集め、1部の中位から上位をうかがうポジションを占
めるようになる。また、現クワドラはリオデジャネイロのエスコーラの中でも最大級の規模を誇る。
2006 年には「アイ・アム・クレイジー・フォー・ユー・アメリカ−ヴィラはラテンアメリカ性を歌う」で2
度目の1部優勝。ブラジル以外のラテンアメリカ諸国との連帯をテーマとするものだった。ベネズエラの国策石油会社から多額の献金(公称90万ヘアウ=
4,500万円、憶測記事では1.6億円とも)がなされ、また、同社の費用で500人のベネズエラ人が動員されたという。
エスコーラ・ヂ・サンバとして、歴史を背負ったり、先進性を誇る立場ではないが、マランドロが闊歩し、ミュージシャンが酒場で弾き語りをしていた、ボヘ
ミアン的な文化地域であったことを背景としていることを押し出すセルフブランディングによって
立ち位置を確立している。1994年の「はじめまして、イザベウ・ヂ・ブラガンサ・ドゥルモン・ホーザ・ダ・シウヴァです。ヴィラと呼ん
でね!」はそうした ヴィラ・イザベウの郷土史をよく表現したエンヘードだった。
エンヘード
- 1947年 「奴隷から女王へ」 12位
- 1948年 「奴隷船」 不参加
- 1949年 「イラセーマ」 アンオフィシャル組の8位
- 1950年 「グワナバラ湾」 アンオフィシャル組の9位
- 1951年 「ブラジルの労働者」 不参加
- 1952年 「信仰、希望、慈善」 採点無効
- 1953年 不参加
- 1954年 「現在、過去、未来」 2部不参加
- 1955年 「自然の作品」 2部11位
- 1956年 「3つの時代」 2部2位−昇格
- 1957年 「フィスカウ島の大舞踏会」 16位−降格
- 1958年 「ブラジルの富」 2部5位
- 1959年 「サウダーニャ・ダ・ガマ」 2部12位−降格
- 1960年 「奴隷の詩人」 3部優勝−昇格
- 1961年 「出版今昔」 2部4位
- 1962年 「ジョアン6世」 2部8位
- 1963年 「3つの歴史的事実」 2部4位
- 1964年 「バイーア讃歌」 2部3位
- 1965年 「市営劇場の叙事詩」 2部2位−昇格
- 1966年 「ブラジルの三時代」 4位
- 1967年 「幻想のカーニバル」 4位
- 1968年 「ファッションと装束の4世紀」 8位
- 1969年 「金の埠頭のヤヤー」 5位
- 1970年 「リオ・グランヂ・ド・スウの栄光」 5位
- 1971年 「褐色の金」 5位
- 1972年 「ブラジルが自由を学んだところ」 6位
- 1973年 「サンバにおける星座」 8位
- 1974年 「アルワナン・アスー」 10位
- 1975年 「情熱の4世紀、ブラジル演劇史」 6位
- 1976年 「オルフェウスの発明」 6位
- 1977年 「ああ、どんだけ寂しいんだ、俺は」 5位
- 1978年 「防壁、愛の海」 8位−降格
- 1979年 「カルロス・マシャードの黄金時代」 2部優勝−昇格
- 1980年 「夢のまた夢」 4位
- 1981年 「エデンの園からアクエリアスの時代へ」 8位
- 1982年 「ノエウ・ホーザとヴィラの詩人たち−並木道の戦い」 10位
- 1983年 「不滅の者たち」 9位
- 1984年 「全てを水曜日に終わらせるために」 月曜日組の5位
- 1985年 「まるで昨日のことのようだ」 3位
- 1986年 「喜びを歌にして、喜びゆえに飛び跳ねて、3人ずつの組で世界中を回った」 11位
- 1987年 「ルーツ」 7位
- 1988年 「キゾンバ、黒人の祭典」 優勝
- 1989年 「権利は権利だ」 4位
- 1990年 「もしもこの土地が、、、この土地が私のものだったら」 12位
- 1991年 「ルイース・ペイショット『では、ポルカをどうぞ』」 11位
- 1992年 「ヴィラは玉子を見て、白身を抜く」 12位
- 1993年 「ギバーラ、創造の寺院への旅」 8位
- 1994年 「はじめまして、イザベウ・ヂ・ブラガンサ・ドゥルモン・ホーザ・ダ・シウヴァです。ヴィラと呼ん
でね!」 9位
- 1995年 「顔か冠か(表か裏か)、コインの両面」 9位
- 1996年 「人民の勇ましき騎行」 7位
- 1997年 「サンバを見殺しにしないで」 9位
- 1998年 「変革期の世界における、涙と汗と勝利」 12位
- 1999年 「ジョアン・ペソーア、一番日の出が早いところ」 11位
- 2000年 「土着文献学会−私はインディオ、私も不滅」 13位−降格
- 2001年 「千の魅力が満ちた素晴らしい州」 2部4位
- 2002年 「栄光のニウトン・サントス、そのボール、その人生、我らがヴィラ」 2部2位
- 2003年 「オスカー・ニーマイヤー、王女の隠遁所の建築家」 2部3位
- 2004年 「ヴィラは君のために」 2部優勝−昇格
- 2005年 「荒海を進んで、未来を創る」 10位
- 2006年 「アイ・アム・クレイジー・フォー・ユー・アメリカ、ヴィラはラテンアメリカ性を歌う」
優勝
- 2007年 「変身、自然の王国からカーニバルの民衆の宮殿へ−生命の変転」 6位
- 2008年 「ブラジルの労働者」 9位
- 2009年 「この喧噪の舞台で、我がヴィラが告げる、市営劇場、素晴らしき100年」 4位
- 2010年 「今なお生きる『ヴィラの詩人』」 4位
- 2011年 「髪に綴られた神話と歴史」 4位
- 2012年 「君は彼の地でセンバを踊れ、、、私はここでサンバを踊る!アンゴラの自由な歌」 3
位
- 2013年 「ヴィラは世界の穀倉たるブラジルを歌う−−『豆煮た鍋に水を足せ。また一人客が増えたから。』」
優勝
- 2014年 「複合的単一存在としてのブラジルの姿」 10位
- 2015年 「ブラジル
音楽の巨匠がノエウの地に−楽譜は我らがヴィラ・イザベウの青と白」 11位
- 2016年 「パイ・アハイアの思い出−ペルナンブーコの夢、ブラジルの遺産」 8位
- 2017年 「色の音」 10位
- 2018年 「急げ、未来はもうそこまで来ている!」
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