G.R.E.S. ウニードス・ド・ヴィラドウロ

創立: 1946年6月24日
チームカラー: 赤+白
シンボル: 黒人と白人の握手+王冠

 「ヴィラドウロ(地名)の連合」。地名(「折 り返し」)は、設立本拠地の面する道路(正式な呼称は、ニテロイ市のサンタ・ホーザ地区にあるドン・マリオ・ヴィアナ通り) で、路面電車が折り返していたことから。現在は、同市バヘット地区に移転している。ニテロイ市では無敵のエスコーラとしての活動が長く、中央でのパレード に本 格的に参加を始めたのは1986年の5部(オーディション枠合格)から。1991年の1部デビューではマンゲイラを抜いて7位に食い込んだ。

 1994年から(2000年まで)はジョアンジーニョ・トリンタをカルナバレスコに迎えて、上位争いに絡むようになった。1997年 から(2007年まで)はドミンギーニョス・ド・エスタシオがプシャドールを務め、その初年に初優勝。1999年から(2009年まで)はバテリアの指揮 にシーサがあたり、1980年代後半のエスタシオ・ヂ・サを髣髴とさせる力強さを見せた。

 パウロ・バホスがカルナバレスコを務めた2007年のパレードでは、チェスの駒に扮したバテリアを山車(チェス盤)に載せて見せた。 バテリアは地面にいなければならないというルールに対して、バテリアが乗った山車の直後に第2バテリア(バテリアの扮装をしたアーラ)を追随させ、ヘクー オ(ゴール前のバテリア待機スペース)で入れ替えることで「バテリアは常に地面にいた」というエクスキューズで挑むも、審査では「山車」や「調和」の得点 が伸びず、5位にとどまった(第1が花火を仕込んだルーレット、第2が「○×ゲーム」というポルタ・バンデイラでも、上位との得点差が生じた)。

 2010年には代表者マルコ・リラの7歳の娘をハイーニャ・ダ・バテリアに据え、「メキシコ」をテーマにしてパレード。大当たりで優 勝したチジューカの直後という印象の落差もあって、遂に最下位、降格となった。

エンヘード

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