ポルト・ダ・ペドラ2012


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"母なる樹液から命の均衡へ "

部位構成

導入部: 哺乳類
第 一の着想として、母性本能による保護が生命と発展の源泉であると私たちは考えます。新石器時代から今日にいたるまでの哺乳類の進化、そして、種の保存に とって乳がもつ重要性。乳こそが新生児の成長と健康で全体的な成長に必要な栄養条件を全てまかなうものであるということ。

第1部: 乳すなわち「生命力」
象 徴としての乳の様々な扱われ方を提示し、様々な文明圏における力、信仰、希望の結合体としての乳の存在を指摘します。いくつかの例示の中には、ローマ建国 の楚であるロムルスとレムスに乳を与えたオオカミも挙げられます。モーゼの言葉の中には、ユダヤ人の新しいイスラエルを表現する上で、乳と蜜の川と言及し たものがあります。

ギリシャ・ローマの神話では、乳は、神と人間、死すべきものと不死身のものを結びつける要素であり、なによりもまず、 天空と地上において命を生み出すものとして扱われています。主神ゼウスはたびたび人間界に関与しますが、ある時は、アルクメネと関係をもって、特に力強さ で名高い英雄であるヘラクレスを産ませます。我が子可愛さに、ゼウスはヘラクレスを不死身とすることを望みます。そのためにゼウスは妻である女神ヘラが 眠っている間に、その母乳をヘラクレスに盗み飲みさせます。小さなヘラクレスがあまりに強く吸ったために、授乳が終わった後でもヘラの母乳が噴き出し続け ました。天空に散ったヘラの母乳は天の川(ミルキーウェイ)となり、地上に落ちた分からは白いユリの花が生まれました。

ヒンドゥの神話に も乳に関する物語がたくさんあります。全人類の始祖であるマヌは、その知性をヴィシュヌ神に認められ、世界的な大洪水を免れます。その返礼として、マヌは 凝乳とバターと練乳の菓子を捧げます。その菓子から、絶世の美女イーダが生まれ、マヌを魅了します。ある日イーダは自分に迫る危険を回避するために雌牛に 姿を変えます。これを知ったマヌも牡牛に姿を変えて添い遂げます。このヒンドゥ版ノアの方舟では、これに続いて何度も他の動物(常に雌と雄のつがい)への 変身が繰り返されて、大洪水後の地上に様々な動物が生み出されていくのです。

エジプトでは、雌のカバの姿をして、その豊かな乳房で信者に栄養を与えた女神トゥエリスが挙げられます。メソポタミアの人々にとっては、ニンフルサグが乳に結び付けられた神格であり、その力は信者に特別の恵みをもたらすと信じられていました。

ノ ルウェーでは、スカンジナビアの全ての神々の父である巨神イミールに乳を与えた牝牛がアウズンブラと呼ばれて崇拝されていました。偶然なことに中国にも、 星座を表す生き物の多くに乳を飲ませているジンポと呼ばれる神聖な牝牛がいます。つまり、栄養食品としての乳の重要性が、洋の東西を問わずに神聖視されて いたということです。

第2部: 乳製品の起源
歴 史を年代記的に整理する形で、この星の様々な地域に亘る乳製品の起源を探り、その始まりと世界の食への結びつきを発表します。乳を熱したもの、撹拌したも の、そのまま保存したもの、特有の質感や味などの特性を備えたチーズ。バター、クリーム、どれもその出自母体である文化において珍重されるものです。考古 学的調査の大半は、紀元前6千年ごろ、新石器時代の中央アジアの人々のヨーグルトの発明に行きつきます。

チーズの起源には諸説あります が、有力なのは、アジアの砂漠を渡って疲れて空腹のアラブの商人の話です。水筒として使っていた羊の胃袋を干したものに入れていたヤギの乳を飲もうとした ところ、澄んだ水のような液体しか出てきませんでした。これはどうしたことかと、羊の胃袋水筒を開いてみると、白い物体がありました。羊の胃袋に残ってい た酵素の働きで、今日の私たちが凝乳という名で知っているものが生成されたのです。この飢えた旅商人はこれお口にして、もちろん、その味に満足しました。

エジプトの人々にとって、乳およびチーズは重要かつ普及した栄養食品であり、王墓の供物として発見されるほどです。

ヨーロッパへは、乳製品は、ギリシャ人によってもたらされ、ローマ人が、競技者や兵士への食糧支給を通じて、その普及に根本的に重要な役目を果たしました。さらにヨーロッパでは、キリスト教会の教令を通じて、チーズの品質向上や固有の製法の確立を見ます。

凝 乳製品は、世界中で、山羊、羊、水牛、牛などの様々な家畜哺乳動物の乳から作られ、さらに多様な伝統料理の材料としてそれらを今に伝える鍵となっていま す。乳製品およびそれらを用いた料理は、いくつもの千年紀を越えて今日に至るまで続いている、大陸的および大陸間の民族移動によって世界中に普及してきた のです。乳製品を用いた料理の起源も、チーズの場合と同じく、羊の家畜化が始まったとされる紀元前8千年頃から紀元前3千年ごろまでのいずれかの時点とい うこと以外、はっきりとはしません。つまり、中央アジアで移動の際に乳を持ち運んでいた遊牧民のもとで、おそらく「たまたま」起こった、乳、熱、酵素の組 み合わせが、凝乳製品を生じさせたということでしょう。

まとめると、これら3製品(凝乳、チーズ、ヨーグルト)が調理法と結びついて、パン、ケーキ、ソース数えきれない種類の2次製品や料理を生み出し、さらに文化、習慣の礎となったのです。

第3部: 乳製品の拡散
乳製品はバルカン半島で勃興した後、紀元前3千年ごろにかけて、エジプト、アッシリア、オリエント、ペルシャ、インド、地中海に広がっていきました。これは、戦争、通商、その他文化的および人的な交流の拡大によるものです。

考 古学の分野では、ヨーグルトその他の乳発酵製品の発見は、乳を原始的な方法で高温の環境下に保存したことに伴う事故との見方が有力です。トルコ、ブルガリ ア、シリア、ギリシャ、ローマ、アラブ等地域出身者の子孫は、かなり古い時代からヨーグルトや凝乳などの乳発酵製品の製造にかかわる知見を得ており、それ らが消化によく香味高い食品であることも知っていました。

牧畜者たちが搾乳を始め、運搬容器として用いた動物の胃に存在する天然の酵素の 働きで凝乳、さらにはヨーグルトが作られるようになりました。生乳に比べてヨーグルトは保存が効くことと、実際のところ、凝乳に比べてもヨーグルトのさっ ぱりした味が好まれたことで、ヨーグルトの消費は拡大し、何世紀にも亘って(まだ紀元前ですが)発展を続けることになりました。

第4部: 乳飲料
古代文明における「ヨーグルト」と類似製品の進化とその利用。甘い食品、塩辛い食品、味付け、名物料理の付け合せ、および医療分野への応用。

ア レキサンダー大王の東征およびローマ帝国の支配以降、複数の文化の融合が、様々な文化地域における「モドゥス・ビベンディ(生活様式)」の多用化のきっか けとなり、異種混交に伴って食習慣の発展と洗練を後押ししました。さらに、歴史の記すところによれば、モンゴル帝国の創始者であるチンギス・ハンとその軍 隊がヨーグルトを食していたとのことです。この帝国の拡大に伴って、7世紀から8世紀にかけて、万里の長城から地中海地域まで、アジア全域からハンガリー まで、広範かつ一連の民族大移動が起きました。

第5部: ヨーロッパの叙事詩
オ スマン帝国のヨーロッパ征服により、トルコ人の食習慣がヨーロッパに広まりました。生活様式や習慣の同化の波、がヨーロッパ人の日常に加わり、今までにな い形の自給生活の可能性が生じました。歴史は繰り返しますが、今度は演者が異なります。コンスタンチノープルが陥落に象徴されるローマ帝国の崩壊以降、地 中海からイタリア半島を越えイベリア半島までヨーロッパ全域にわたってイスラム文化が席捲します。ただし、軍事的な征服とは対照的に文化面では接合という べき様態でした。

貧者および封建領主の圧政や外敵の侵略による困窮者を救済する使命を全うして教会として存続を続けるという目的あっての ことではありますが、逆説的なことに、キリスト教会は抑圧を受けたことにより、教義関連知識と慈善活動の普及拡大に一層力を入れるようになりました。キリ スト教会は半ばやむを得ず自動的に、自給自足のスタイルを用いることになりました。目立たない形で、多くの信者を取り込み、教会の権威を保とうとしたので す。特に食の面での対応を見ると、困窮者の食事は、ヨーグルト等の乳製品と少しの穀物と小動物の肉といった構成でした。当時ヨーロッパでは、大きな肉がと れる動物の飼育は大半が大きな城塞のために行われていたのです。

古代の知見を引き継いで、ヨーグルトは文化・文明に同化し、その発展につれて徐々に、食卓に地位を占めるとともに、医療分野でも発展するようになりました。

その後、大航海時代へと至る何世紀かの間のヨーロッパの発展に伴い、食の楽しみが多様化し、新しいより洗練された料理方法が開発され始めました。

イ ンドやオリエントからもたらされるスパイスが組み合わされたヨーグルト・ソース、そして、温冷それぞれのデザートもローマ帝国時代のものを離れて、ヨーグ ルトをベースとしつつ、砂糖、果物、蜂蜜などと組み合わされるようになり、また、健康食品としての効果に対する信頼も増していきました。長い時間をかけ て、整理、研究が進み、ヨーグルトという家庭製品が大陸中に広がり、受け入れられるようになるのです。

第6部: 保存・運搬用の容器
第6 部では、取扱いと工業化が主題となります。私たちが大いに着目すべき1920年代のスペインとフランスで発展したヨーグルトの容器封入と工場での生産、 1930年代のアメリカ大陸、特にアメリカ合衆国、へのヨーグルト製品の伝播、最終的にヨーグルトが世界中に知られるようになったことを披露します。

ヨー グルトは広く知られ、受け入れられていましたが、家庭内で自家消費用に作られるものでした。この流れが変わったのは、1920年代、スペインで、最初の ヨーグルト工場が設立されたことです。当初ヨーグルトの容器としてはガラス瓶が使われていましたが、後に陶器に変更され、商品価値が向上しました。

ヨーグルトの北米への伝播は、第2次世界大戦の時期でした。ヨーグルト製造の基本的ポリシーは最初の工場設立時と同じく、「家庭のために働く同族企業」というものでした。

や がて1970年代に、牛乳の生産が盛んなミナス・ジェライス州の業者がヨーロッパに渡り、ブラジル向けに伝統的なクリーミーなヨーグルトに潰したイチゴを 加えた製品の製造と容器詰め方法を学びましたが、ミナスの家族というスタイルを変えることはあり得ませんでした。この一家も、「一家族としてブラジルの家 族に向け、健康福祉の増進で貢献すること」という当初の基本ポリシーを重視しています。ほどなく、この製品は、香り、舌触り、味わい、そして、便利で魅力 的な容器を武器に、特に幼児を顧客としてその支持を得るようになりました。やがて指数級数的に、ブラジルの一般家庭市場に溶け込み、国内の食品業界でも有 数の成功事例となりました。

第7部: 機能性食品
第7部では、化粧品と食品とに分けて、福祉と健康増進を目指した広範な製品を発掘していきます。

ヨー グルトを基本として特定の成分を含有する食品が、身体能力の維持向上を目指すものとして製造されています。製造時に使用する菌を変更することで、乳製品の 成分も大きく変化します。こうした製品の製造は、何千年も前から存在が知られていた成分と今日の優秀な研究者による技術支援とを結びつけたものです。これ によって、健康増進により有効な製品が市場に供給され、現代人の健康管理に貢献しているのです。このように守られている感覚は、私たちがかつて母乳を飲み ながら物理的かつ生物学的に保護されていた授乳期の快適さを思い起こさせるものと言えるでしょう。これと同じことを使命として、公共福祉の拡大のために、 長い間自らの人生を捧げてきた人たちもいます。知的創造活動を通じ、これら乳製品の機能を家庭に届くようにし、人々の身体能力を限界まで引き出すよう望む 世界に、身体の健康的均衡をもたらしているのです。このニッチ分野では、人々の人生の質の向上に向けて、さらに多くのことが達成されようとしており、これ ら新しい形の栄養食品に対する信頼と希望の扉を開くものと期待されます。これら乳成分の利用は食品の枠を超え、化粧品産業にも応用され、肌や髪のケア、顔 の保湿などの機能性製品が作られています。

大切なことは、私たちが単純な食の喜びを忘れずに、忙しい毎日においても栄養を摂取し、人生を喜びと健康に満ちたものにすべきことでしょう。

ホベルト・サニエツキ(カルナバレスコ)

作詞作曲担当への申送り事項として、私たちのエンヘードの主題を明示する上で、以下のフレーズを含むことが必要と考えます。「ヨーグルトは乳、健康の素、それ以上のもの」
以上です。作詞作曲担当諸氏に幸運とひらめきのあらんことを。

(サンバ・エンヘード)
作:ヴァヂーニョ、フェルナンド・マカッコ、チアォン・カリフォルニア、シシ・マラヴィーリャ、ベント、デニウ?、オスカル・ベッサ

生命に、そして愛をまく胸に捧ぐ詩
母なる樹液に
我がポルト・ダ・ペドラは栄養を与えた
ヘラは星々を渡る道を紡ぐ
オオカミは大帝国に乳を与えた
孤独な砂漠で起きた奇跡
旅の商人が変化を発見した
乳から最高の食糧への変化を
祈りを込めて賞味した
歴史上、人類は信仰の中に生きてきた
動物を神聖なものとした捧げものの中で
大量の発酵、そして知った
喜びの豊かな泉を

レシピ通りの熱の中で、凝固させよう
味覚にちょうど良い組み合わせ
本質が味の混交へと派生する
色の魔術を甘くする蜜の中で

戦の勝利に糧食が続く
世界に広がる甘い味わい
時を経て壁を越えて
文明の光が輝いた
多くの海を渡った
発展を内包して
どの料理にも、替えがたい味わい
人気のデザートに名前が付けられる
生体機能を強化する
軽さ、バランスが美しさとして現出する
私は毎日繰り返す
ヨーグルトは乳、健康の素、それ以上のもの

サンゴンサーロの虎のリズムでやってくる
魅せられた人々を食べさせる
ひとつひとつの分け前に特別の配慮がなされる
カーニバルの喜びと感動のために

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