ウニードス・ダ・チジューカ 2010

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「それは秘密です!」


 ウニードス・ダ・チジューカの2010年のエンヘードは秘密です。歴史上の出来事や人物がどこから来て、その後どうなったのかについての重要な情報を含む調査、研究、批評、解説が、今まで実に多くなされてきました。それでもなお、私たちをどこかの場所へ連れて行くわけではない試みに過ぎません。私たちも数多くのテーマを手掛けてきましたが、その結果わかったのが、サプカイでの発表で、実際のところ全てがどうなったということなのかということを明らかにすることは、必ずしもできない、ということです。どうしたら理解を促進できるものか、答えが見つかりません。隠すことが、常に単なる無邪気な冗談とは限らないのです。

  対象について解明できたというイメージが湧いてきて、そこに答えがあるに違いないと思える瞬間があるかと思うと、その何秒か後には全てが違って見えてきたりします。なぜこのようなことが起こったのでしょう。全てがあんなに確実に見えていたのに。まるで魔法をかけられたように、目の前にあったものが全く別物に変化してしまったのです。全く説明できません。

 そこで私たちは、何が起きていたのかを解読し、理解する道筋を探そうと思い当たりました。

 古代文明関係の歴史を紐解くという誘惑にも敢えて逆らいませんでした。古代の人々がどのように生きたかということはサプカイでも数多く取り上げられてきました。実に多くの、、、

 実に多くの書籍、地図、文書などなどにあたって、私たちはあることに気づきました。数多くの既に解明された歴史のほかに、誰も敢えてカーニバルで取り上げようとしなかったものがあるのだと。なぜ取り上げられなかったのでしょうか。まずは、遠い昔に滅んでしまった、灰になってしまった、勝利だけが全てという戦いの中で塵となってしまったからということでしょう。これは、どんな代償を払ってでも。

 夜に日を継いで、私たちは文献を読み漁りました。しかしながら、これらの文明の記憶を消去してしまった災厄を生き延びたページを見た結果は、疑問が多く、完全な説明は皆無で、さらなる疑問と謎が膨らむばかりでした。こうして何世紀も前の消えた人々について集めた情報に接することに時間を費やしたものの、私たちには疑問が残るばかりとなりました。

 少なくとも、私たちの惑星にかつて生きていた多くの人々の痕跡を見つけることができました。この惑星に今あるのは、残骸、痕跡、廃墟。

 隠れた墳墓などは、私たちがほとんど知らない場所の存在を示す明らかな証拠です。時の流れに消されてしまった痕跡。独自の歴史。埋もれた歴史。

 これほどまでの発見であれば、すばらしいエンヘードに作り上げることも可能ではないでしょうか。存在したことは確かである場所。その内容については想像でしか再現できない場所。この欠落は、歴史の再現を基礎とした創造というプロセスをたどろうとする人には大変な負担を強いることとなるでしょう。その一方で、敢えて意欲的に伝説を書いて、密かにこれらの隠された空間を埋めていこうとする人には、たまらない材料となることでしょう。

 私たちは調査を続けました。話し合い、白熱した議論、落胆、興奮。解法に本当に近づいたと思える瞬間もありましたが、見つけたと思った瞬間にまた、未知のもの、解明不能な問題に突き当たってしまいました。何者だったのか。どう生きたのか。知らないことを材料にして、どうエンヘードを作ったらいいのか。

 消えた文明の人々は、自分たちの歴史を後世に残したくなかったのでしょうか。後に書籍やテレビや映画やサンバ会場で紹介されるかもしれない、自分の文化、習慣、様式を隠してしまおうなどということは間違ってもなかったことでしょう。

 残念なのは、こうした人々には選択権がなかったということです。外部の力によって、埋められ、燃やされ、破壊されたのです。もはや私たちには、彼らの人生も、日常の様子も、出自も知るすべがありません。

 いつの時代の人類とも同じく、隠しておきたい秘密もあったことでしょうが、彼ら自身について、どういったことを明らかにしておきたかったのか、そこが決して私たちには知ることができないのです。決してできない、、、いや、今まではできなかったということです。

 (表現方法としては)私たちも消えてしまわなければならないのかもしれません。自分の身を隠して、擬装してパレードするとか。公衆の面前で消えてみせるとか。気弱の極みと高貴の極みという両極端の動機を抱えて。正解するために敢えて過ちをおかすとか。スーパーヒーローや悪者の行動ってこういうものではありませんか。善人と悪人。スパイ、泥棒、科学者、文筆家、、、人も、歴史も、物も、みんな消えるのです。

 大空では飛行機が、大海原では船が、行方不明になってしまいます。何の手がかりも残さずに。こうして捜索活動が始まるわけです。こうした失踪について、無数の憶測がなされます。誰が殺したのか。誰が逃げたのか。なぜ消えたのか。どこに隠れたのか。あらゆるところで、トンデモ説が唱えられます。異星人が研究用に人や物を取りに来たのだとか。逆に、ET も捕らえられて研究所に隠されているのだと言う人もいます。

 推測がやがて本格的な調査となり、探索が続きます。家、仕事、経路を再確認します。現在、誰かを見つけるにはインターネット経由が手軽です。パスワードを破って、なりすましたり。悪質な場合、アクセスキーを破って、セキュリティ・システムを瓦解させ、大企業をまるごと崩壊させるようなこともあります。こういう犯人は誰にも出会わずに犯行におよびます。決して表に出ることなく、誰の生活にも入り込むことができるのです。

 さて、私たちにとっての出口を開ける鍵はどういうものでしょうか。今後どのような暗号、コード、秘密のレシピ、魔法の薬が解明されるのでしょうか。

 現実に起こっていることが判ったとして、どう反応するべきでしょうか。知らないほうがいいのでは。みんな秘密のままにしておいたほうがいいのでは。隠し切れないものの責任を負うべきか、責任を負えないものを隠すべきか。

 目の前に起こっている物事の真相を暴こうとするのなら、見えるものが即ちそのように思えるものとは限らないということを忘れてはいけません。また、過ぎたことについて謎解きに成功したのなら、その秘密を簡単に披露しないでください。まさかのタイミングまで保持して、驚かせるのです!今回のカーニバルでは、我々みんなが見るものについて持つ確信というものがいかに脆いものかをお見せしましょう。

パウロ・バホス
イザベル・アゼヴェード
アナ・パウラ・トリンダーヂ
シモーネ・マルチンス

(サンバ・エンヘード)
ジュリオ・アウヴェス、マルセーロ、トトーニョ

この謎を解き明かすこと
大事件だ、誰が敢えて挑むのか
未知の、失われた時から来た
千年の時を越えたあの羊皮紙
それは記憶の塵に紛れた灰
そして想像で遊ぶ
ウニードス・ダ・チジューカよ、これは秘密ではない、私はお前を愛している
説明しろと言われても、なんとも言えない
これは心の問題だ

その場所を見てみたい
時にすら忘れられた地
神よ、私はどこを探せばいいのか
誰か私に応えてくれるだろうか

公衆の面前で消える者は
自分の真実を隠す
想像せよ、ヒーローは決して身分を明かさない
あの仮面の男が
この舞踏会では道化となるのだろうか?
暗号、命の秘密
失われた鍵は、問題の「X」
気をつけろ、今見えるものがそうではないかも、、、いや、そうかも?
判ったなら披露したほうがいい
私のカーニバルの夢の中で
立ち止まって考えろ、変身しろ
あるいは最後まで隠し続けるか?

それは秘密、誰にも言えない
私はチジューカ、先を行く
君の視線を、私は惑わす
誘惑は発見すること

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