G.R.E.S. インペラトリス・レオポウヂネンセ
創立: 1959年5月6日
チームカラー: 明るい緑、白、金
シンボル: 冠
「皇后レオポウヂーナの(その土地の出身者)」(を意味する造語)。本拠地ハモスが属する地域が、レオポウヂーナ線という名の鉄道を
中心に開発さ
れ、レオポウヂーナ郊外区(Zona da
Leopoldina)と呼ばれることに因んだもの。「レオポウヂーナ」は、ブラジル帝国初代皇帝ペドロ1世の后、マリア・レオポウヂーナ・ヂ・アウスト
リア(マリア・レオポルディーネ・ヨーゼファ・カロリーネ・フォン・エスターライヒ)に因む。地元でのサンバ熱は高く、2年後にはブロッコ・カシーキ・
ヂ・ハモスも同地区に設立されている。メインシンボルの冠は、インペリオ・セハーノに縁のあるメンバーが中心となって設立されたことを記録するもの。斜め
の一本線はレオポウヂーナ線、右肩の大きな星はハモス地区、冠の下の10個の星はレオポウヂーナ線が通る(ハモス以外の)諸地区を表している。
中心部でのパレードへの参加に関しては後発だが、1970年までには1部に顔を出し、1980年代には3度の優勝を含め、中・上位の常連となった。
1990年代には、ホーザ・マガリャンィス(カルナバレスカ)による「歴史絵巻」的なエンヘードを絢爛豪華かつ着実に表現するパレードを続けて優勝を重ね
た。特に、1980年、1989年、2001年の3回は満点。1999年、2000年、2001年の3連勝はサンボードロモ開設以来、初の快挙。
「観衆を置き去りにして審査員に媚びる点取りサンバ」と揶揄されることもあるが、むしろ、丁寧に構成・執筆されたシノプス、エンヘー
ドに忠実かつ豪華な山車・衣装、正確な演奏とダンスなど、その地力の強さで他エスコーラに怖れられる存在ゆえとも考えられる。
エンヘード
- 1960年 「ブラジル文芸院讃歌」 3部6位
- 1961年 「ブラジルの富と脅威」 3部優勝−昇格
- 1962年 「18世紀のリオ」 2部5位
- 1963年 「3つの首都」 2部3位
- 1964年 「皇帝のお気に入り」 2部2位−昇格
- 1965年 「リオデジャネイロ400年にあたってのブラジル讃歌」 10位−降格
- 1966年 「君主制と歴史の輝き」 2部2位−昇格
- 1967年 「オラーヴォ・ヴィラックの詩的人生」 9位−降格
- 1968年 「祭りのバイーア」 2部2位−昇格
- 1969年 「ブラジル、3人種の愛すべき花」 8位
- 1970年 「オロッパ(ヨーロッパ)、フランス、バイーア」 6位
- 1971年 「金の延べ棒、川の岸、スカートの裾(全部バーハ)」 7位
- 1972年 「マルチン・セレレー」 4位
- 1973年 「民話詩集風、カーニバルのABC」 5位
- 1974年 「サンビスタ、シーラス・ヂ・オリヴェイラへのレクイエム」 6位
- 1975年 「ポルタ・エスタンダルチ(タスキつきの役職)の死」 8位
- 1976年 「未開の海を通って」 8位
- 1977年 「イビラピランガ(パウ・ブラジル)の地への不思議な旅行」 9位−降格
- 1978年 「『子供ごっこ』をしてみよう!」 2部2位−昇格
- 1979年 「オシュマレー、虹の伝説」 7位
- 1980年 「バイーアには一体なにがあるのだろうか?」 優勝(3チーム同点)
- 1981年 「君の髪は拒まない」 優勝
- 1982年 「ツグミが鳴くところ」 3位
- 1983年 「コートジボワールの王がシカ・ダ・シウヴァを訪ねてヂアマンチーナへ」 4位
- 1984年 「もしもし、ママ」 月曜日の4位
- 1985年 「青年−謎の都市」 8位
- 1986年 「誰も中傷しない方法−心で堪えろ」 8位
- 1987年 「明けの明星、ダウヴァ・ヂ・オリヴェイラへの賛辞」 9位
- 1988年 「あれは良かったって、皆に伝えて」 14位
- 1989年 「自由よ、自由よ、我々の上にその翼を広げて」 優勝
- 1990年 「ブラジルという大地。植えれば収穫できる。」 4位
- 1991年 「バナナには何がある?」 3位
- 1992年 「赤道以南に罪はなし」 3位
- 1993年 「馬鹿騒ぎの侯爵たる侯爵が常連である」 2位
- 1994年 「トゥピナンボー族とタバジャーラ族の宮廷に招かれた、カトリーヌ・ド・メディチ」 優勝
- 1995年 「セアラでは、人を蹴飛ばすラクダより、人を運ぶロバが大事」 優勝
- 1996年 「インペラトリス・レオポウヂーナは誇らしく紹介する、ブラジルの皇后レオポウヂーナを」 2位
- 1997年 「私は竪琴のもの、否定できない」 6位
- 1998年 「ほぼ2000年なわけだが」 3位
- 1999年 「『テアトルム・ラルム・ナトゥラリウム・ブラシリアエ(ブラジル物産博覧)』に見る、ブラジルの素顔」 優勝
- 2000年 「ブラジルを発見したのは、カブラウ。それは4月22日、カーニバルの2ヵ月後のことだった。」 優勝
- 2001年 「色々なサトウキビ(カイアーナ、赤キビ、固キビ、黒キビ、黄キビ、ペルナンブーコ等々)全てが、ガンザのとぼけた
音に合わせて蜜になってたれるのを見たい。」 4位
- 2002年 「ゴイタカス族...トゥピたるべきか、トゥピたらざるべきか、ブラジルの行く道の中で」 3位
- 2003年 「海賊といえば必ず義足で義眼で悪人面、、、な訳はない」 4位
- 2004年 「ブレアザイル(燃えるように赤いブラジル)」 5位
- 2005年 「素晴らしき狂気の混乱」 4位
- 2006年 「一人は皆のために、皆は一人のために」 9位
- 2007年 「テレジーニャ、ウー!みんな、タラ食べない?」 9位
- 2008年 「ジョアンとマリア(達)の話」 6位
- 2009年 「皇后も、サンバするということを見せたいだけ。」 7位
- 2010年 「神々が住むブラジル」 8位
- 2011年 「皇后布告:サンバは健康に宜しい」 6位
- 2012年 「ジョルジ、愛すべき(アマード)ジョルジ」 10位
- 2013年 「パラー−ブラジルのムイラキタン(護石)」 4位
- 2014年 「アルトゥール(アーサー)"10"世・・・インペラトリスの宮廷にある黄金の雄鶏の王国 (ジーコ)」 5位
- 2015年 「ア
シェー・ンケンダ−自由への祈り−自由の声が常に我らの声であるように」 6位
- 2016年 「愛ゆえに・・・私は悩み、身を焦がす−ある田舎者の夢から、"ブラジルの息子"は生まれた」 6位
- 2017年 「シングー、森から響く叫び」
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