G.R.E.S. アカデミコス・ド・サウゲイロ

創立: 1953年3月5日
チームカラー: 紅白
シンボル: 打楽器

 「サウゲイロ(設立本拠地の地名)の学院生」

 モーホ・ド・サウゲイロは、1930年代から多くのブロッコが林立し、サンバ界の一大勢力地域として賑わっていたが、それゆえにプ ラッサ・オンゼ 等でのパレードの規格化の流れに乗り遅れ、マンゲイラ、ポルテーラ、インペリオ・セハーノ等の後塵を拝すこととなっていた。サウゲイロの大所であったアズ ウ・イ・ブランコが6位に終わった1953年のカーニバル直後に、ブロッコ乱立による力の分散を避けるべしとの機運が高まり、統一サウゲイロの設立へと動 いた。まず、アズウ・イ・ブランコとデポイス・エウ・ヂーゴが合併した。もう一つの大チーム、ウニードス・ド・サウゲイロは、それ自体が連合チームであっ たことから、さらなる連合によってチームカラーが薄まることを嫌い不参加だったが、その後何年かの内に衰退・消滅し、実質的に参加者の多くが新チームであ るアカデミコス・ド・サウゲイロに合流した。

  初参加の1954年にして、ポルテーラを抜いて3位に入り、以後、1960年代から70年代 にかけて、上位争いの常連となった。黒人のデスタッキ登用や、強い赤色をふんだんに使った衣装(従前は白が基本だった)、歴史に埋もれた人物・事件に光を 当てるエンヘードで、サンバ界をリードしていった。1980年代には、重要人物が去るような内紛が続いて失速し、後発のベイジャ・フロール、インペラトリ ス、モシダーヂといったエスコーラに上位を譲る年が続いた。1993年に、北部からリオデジャネイロへの移住者をテーマにした「北 でイタに乗った」で優勝。以後、2009年の「太鼓」で優勝したほかは、中位に安定。

 「優劣じゃない。ひと味違うだけ」とのフレーズを前面に、(分類上はエスコーラ((「学校」))ではあるが)アカデミア(「学院」) であると標榜している。

エンヘード

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